映画:「インセプション」ラストはこう解釈した

 以前から見たかった「インセプション」をツタヤで借りて観た。唐突だけど、ラストシーンについて言及したい。(以下、ネタバレになります)

 

 

 


映画『インセプション』予告編

 

 

 

 インセプションのラストシーンは、人によって夢の世界(又は虚無の世界)か現実の世界か解釈が分かれるが、僕は現実の世界だと解釈した。その理由は3つある。

 

 まず1つめの理由は、コブが子供たちと向き合っているからである。虚無の世界で奥さんが子ども達の顔を見てあげて的な発言をして、その時コブは拒否していた。どの監督の作品かまたはどのキャラが発言しているかによって、とある発言・態度は本心からくる発言・態度か又は嘘をついているのか考慮する必要がある。

 

だけど、一通りインセプションを鑑賞してコブが虚無の世界だから子供達のほうに向き合わなかったことは、本心からくる態度からだと理解した。(例えば、西川美和監督の作品は、個人的にはとある発言・態度は表面的に解釈するのではなく、嘘をついていたり他の意図があるのではと思わされる作品が複数あるように個人的には解釈している)

 

なのでラストシーンでコブが子供達のほうへ駆け寄っていく様は、現実世界だから向き合うことが出来たと解釈した。

 

 2つめの理由は、単純にコマが倒れかけていたからである。ただそれだけ・・・・・・(笑)

 

 3つめの理由は、もし仮にラストシーンが夢の世界(又は虚無の世界)と仮定するときりがないからである。何がきりがないかというと、コブの他にインセプションを使用できる人の存在を認めることになり、何故何が目的でコブにインセプションしたのか等無数に思案することが増えてくる。

 

 もちろんそのようなことを考えるのは余韻が出て楽しめたり、少なくともコブがインセプションを使用できるのだから少なくともあの世界では他の誰かがインセプションを使える人間がいても不思議ではない。

 

 只、個人的にはラストシーンが夢の世界だと思いたくはない。そのように思案した理由は、インセプションされたロバートのことを考えたからだ。確かに父親からぞんざいに扱われていたロバートにとっては、インセプションされた世界のほうが心地よいかもしれない。

 

だけど、誰かから都合の良いように与えられた世界で生きていく様を思案すると悲しいことだと思案した。誰かに与えられた甘美な世界では、自分で選択して(責任をおう)行動していたつもりがそうではないと知ってしまったら、その人生は自分ではなくとも他の誰かが歩んでもよかったのではないかと思ってしまう。

 

うまく言葉に表現出来てないが、ラストシーンが夢の世界だとしたらコブは奥さんとずっと夢の世界に留まっていた時から成長もなく、自分の人生ではなく誰かに決められた人生を歩んでゆくとは考えたくなかったから、ラストシーンが夢の世界だと信じたくなかった。(本人がインセプションされたかどうか、気づいているかどうかに関わらず)

 

 

 ラストシーンが現実世界だと思案した理由を3つだらだら述べたが、1つめの理由・コブが子ども達に向き合っているからという理由が割合としては高い。

 

 何はともあれ、冒頭からカットを時系列に並べるのではなく、効果的な順番に並べ替えていて、クリストファー・ノーラン監督節が味わえて面白かったです!!!

 

 

 

PS.特典映像の夢の世界をいかに現実のように魅せるか、という制作秘話も見てて楽しかったです。