さらば、全てのエヴァンゲリオン。 人生から逃げちゃダメだ。
社会人人生約6年間、今日初めて早退して「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観てきた。この後、ネタバレ含む感想を書く為、未だ映画を観ていない人はスクロールせずにこのページを閉じてください。。。
考察や細部の感想(ちゃんとした感想)は、次回の記事(いつ?)に譲るとして、今回1点だけシン・エヴァの感想を書いていきたい。それは、「あの頃から大人になれたのか?」ということ。(皆大人になっていたのにゲンドウは子供(青年の頃)のまま?という対比も面白かった)
シン・エヴァを観ていて印象残った点は多々あるけど、今回のテーマに絞って挙げると、アスカがシンジに「昔(あの頃の私)はあんたのことが好きだった」と告げる場面や
ケンスケが運転している際「以前大人だったミサトの気持ちを推し量ることが出来る」
等、皆確実に年をとり(アスカはその限りじゃないけど)成長していると実感して、もうあの頃の皆はいないし(あの頃のままじゃいられない)、当時の気持ちを再び味わう・感じることもないと想うとそこはかとなく寂しかった。
特にアスカがシンジに「昔(あの頃の私)はあんたのことが好きだった」と告げる場面では、例えば昔付き合っていた人が結婚してもうあの頃のようには戻れないんだと思案して、これって人生じゃんって思わされた。
Twitterでシン・エヴァの評判を大雑把(雑)に分類すると、10代(若しくは20代)でやり遺したことや忘れ物を今も追い求めている(もがいている)人はあまり良くない・納得していない感想を抱いており、
10代や20代に抱えていた問題を克服し(若しくは折り合いをつけた)新たなステージへと進んでいる人は良い感想を抱いているように見えた。(個人個人が抱いている感想は違うから、本当に大雑把な基準だけど)
僕は、状況的にはどちらかというと前半の方に該当するけど、シン・エヴァを観た率直な感想は『凄い!!!!!!!』(ぶち良い!!!!!)だった為、少し上記の分類と外れるかもしれない。
だから、最後のマリルートにしてしまったら、これまでの『シン・エヴァは人生』のように感じていたけど、そんな都合の良い人は現れないと少しだけ冷めてしまった。(それをいうとアニメや物語にそれを求めるなってなるけど)
だけど、序破Qの流れで綾波・アヤナミやアスカルート(ルートという言葉を使っていいのかあれだけど、一旦置いといて)に突入するビジョンも見えない為、マリルートでしっくりくるのかもしれない。
只、1つ言えるのは、アスカ・マヤ先輩推しだけど何度も何度もシン・エヴァを見るとマリ推しになってしまうだろうなと予想できてしまう。。。(マリはゲンドウ達と同い年でOKですか?それとももっと年上とかの可能性も微レ存?)
終盤の場面、シンジのお母さんがいつも見守ってくれていたシーンは、クロスチャンネルのお母さんが想起されて、謎に少しうるってきた。脱線したけど、マリもいつも(昔から)見守ってくれていた(知らないだけで)と思案すると、マリルートしかないのか?!?
結論は、大人になりきれていないおれは、人生から逃げちゃダメだ!人生から逃げちゃダメだ!!人生から逃げちゃダメだ!!!
PS.大人なマヤ先輩が見れて良かったです←
PS.高校生の頃、破を観る為に隣町迄約1時間~1時間30分共に自転車を漕いでた友人は元気にしているだろうか。。。(理由は覚えていないけど、その時見れなかった)
映画:「インセプション」ラストはこう解釈した
以前から見たかった「インセプション」をツタヤで借りて観た。唐突だけど、ラストシーンについて言及したい。(以下、ネタバレになります)
インセプションのラストシーンは、人によって夢の世界(又は虚無の世界)か現実の世界か解釈が分かれるが、僕は現実の世界だと解釈した。その理由は3つある。
まず1つめの理由は、コブが子供たちと向き合っているからである。虚無の世界で奥さんが子ども達の顔を見てあげて的な発言をして、その時コブは拒否していた。どの監督の作品かまたはどのキャラが発言しているかによって、とある発言・態度は本心からくる発言・態度か又は嘘をついているのか考慮する必要がある。
だけど、一通りインセプションを鑑賞してコブが虚無の世界だから子供達のほうに向き合わなかったことは、本心からくる態度からだと理解した。(例えば、西川美和監督の作品は、個人的にはとある発言・態度は表面的に解釈するのではなく、嘘をついていたり他の意図があるのではと思わされる作品が複数あるように個人的には解釈している)
なのでラストシーンでコブが子供達のほうへ駆け寄っていく様は、現実世界だから向き合うことが出来たと解釈した。
2つめの理由は、単純にコマが倒れかけていたからである。ただそれだけ・・・・・・(笑)
3つめの理由は、もし仮にラストシーンが夢の世界(又は虚無の世界)と仮定するときりがないからである。何がきりがないかというと、コブの他にインセプションを使用できる人の存在を認めることになり、何故何が目的でコブにインセプションしたのか等無数に思案することが増えてくる。
もちろんそのようなことを考えるのは余韻が出て楽しめたり、少なくともコブがインセプションを使用できるのだから少なくともあの世界では他の誰かがインセプションを使える人間がいても不思議ではない。
只、個人的にはラストシーンが夢の世界だと思いたくはない。そのように思案した理由は、インセプションされたロバートのことを考えたからだ。確かに父親からぞんざいに扱われていたロバートにとっては、インセプションされた世界のほうが心地よいかもしれない。
だけど、誰かから都合の良いように与えられた世界で生きていく様を思案すると悲しいことだと思案した。誰かに与えられた甘美な世界では、自分で選択して(責任をおう)行動していたつもりがそうではないと知ってしまったら、その人生は自分ではなくとも他の誰かが歩んでもよかったのではないかと思ってしまう。
うまく言葉に表現出来てないが、ラストシーンが夢の世界だとしたらコブは奥さんとずっと夢の世界に留まっていた時から成長もなく、自分の人生ではなく誰かに決められた人生を歩んでゆくとは考えたくなかったから、ラストシーンが夢の世界だと信じたくなかった。(本人がインセプションされたかどうか、気づいているかどうかに関わらず)
ラストシーンが現実世界だと思案した理由を3つだらだら述べたが、1つめの理由・コブが子ども達に向き合っているからという理由が割合としては高い。
何はともあれ、冒頭からカットを時系列に並べるのではなく、効果的な順番に並べ替えていて、クリストファー・ノーラン監督節が味わえて面白かったです!!!
PS.特典映像の夢の世界をいかに現実のように魅せるか、という制作秘話も見てて楽しかったです。
楽園追放
先月「楽園追放」を観た。感想は、むちむち!!!!!!!と、くぎゅーーーーー!!!!!!に収斂されるのだけど、それだとあまりにひどいので他の感想を書いていきたい。感想は、大きく分類すると3つ。
- 人間を人間たらしめる要素は何か
- 資本主義へのメタファー
- ラスト圧巻!!
(注1)
『楽園追放 -Expelled from Paradise-』
1つめの感想、人間を人間たらしめる要素は何か、ということを映画を観ていてそのような疑問を抱いた。僕は、その1つは記憶であると世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドやゴールデンタイムを読んでそう思っていたのだけど、記憶以外に知覚もあると思案したらしい。らしい、というのもメモ書きにはそう書いてあるのだけど詳細を書いていなかったので(当時の僕は、こんなに記事をあっぷするのが遅くなると思っていなかったからだろう)、何故楽園追放を観てそう思ったのか鮮明には思い出せないが、多分フロンティア・セッターやアンジュラバルザックを観ていてそう感じたのだろう。(多分、アンジュラバルザックを例で取り上げるなら、精神があれば肉体を必要としない部分を観て知覚も人間らしくたらしめるものなのでは、と思案したのだと思う。)
米の政治学者ハンナ・アーレントは、「人間の条件」の書籍で労働・仕事・活動と3つに分類している。この人間を人間らしくたらしめる要素については、東浩紀さんの動物化するポストモダン読了後に書きたいなと思っている、一応。。
2つめの感想は、資本主義へのメタファー。この作品のテーマの1つとして、資本主義(での生き方)を批判していたことが挙げられる。ディンゴと関わる前のアンジュラバルザックは、昇進することを目的としていた。しかしそんな生き方では、幸せにはなれない。なぜなら、何か目標を達成すればまた新しい目標を生まれるからである。もし、その目標に向かって努力している過程自体に幸せをいつまでも見出し続けられるのなら、そんな生き方も幸せなのかもしれない。
だけど一部の人を除き、僕も含め大勢の人が初志貫徹や、時が経つたびに知らず知らずのうちに初心を忘れてしまったり、そのことによって日々の活動(過程)を幸せだと感じなくなってしまったりしてしまう。何かを達成、成功するから幸せになるのではなく(過程に幸せを見出さなければ、新たに目標が出来るので幸せになれる時は来ない)、今幸せだと実感しているからこそ、より幸せになることが出来る。これは、青い鳥の話と同じかもしんない。
アイドルマスター アイマス 蒼い鳥 千早 ミンゴス - YouTube
自己啓発本ぽくなってしまったけど、お金を稼ぐこと(勿論お金がある程度無ければあれだけど)や昇進といったような環境要因を得ることで幸せを感じる人は、今幸せだと感じている人のほうがより充実した日々を過ごすこと出来る。しかし、資本主義は前者のような人間を涵養することになるから、資本主義を批判していたのではないかなと観ていてそう思案した。
最後3つめのラスト圧巻!!は、最後の戦闘シーンのことなんだけど、「むちむち」とくぎゅーー!!!!」の他に、またこのシーンを観るために劇場でこの作品を観たいと思わせてくれるぐらいにラストが圧巻だった!!
もし楽園追放気になってて、まだ観にいけてない方がこの記事を読んでくださったのであれば是非観に行ってみてください、爽快感も味わえます!!
PS
上記の記事で多様性を認めるべきと書いたんだけど、後ろの席だった方が映画が始まって終わるまで終始ポップコーンを食べていてくちゃくちゃずっーと聞かされ途中集中出来ずにいて、咀嚼音に左右されるぐらいじゃまだまだだと思った。と同時に、くちゃらーの人は、映画館で食べちゃだめ絶対。
(注1)http://xn--zck9awe6d820vk6qg9be46k.com/zyannru/anime/3749/
インターステラー
先日、インターステラを観に行った。約一週間経過しているので記憶が曖昧な箇所もあるけど、インターステラの感想を書いていきたいです。(この記事は深夜に楽園追放を見終わった後にほぼ途中まで書いてあって、実際にあっぷしたのがインターステラを見終わって1カ月ぐらい経ってしまった)
(注1)
インターステラをを見た大きな感想としては、以下の5つ。
- シャレオツのなかのシャレオツ
- ワルシャワ蜂起
- 哀しさから創出される美がある
- 融和性は、名作の定義の一要素
- 記憶に残る幕の内弁当は存在する
それぞれ、解説していきたい。
まず1つめの、「シャレオツのなかのシャレオツ」というのは、お洒落なカットが多かったということ。例えば、冒頭のインド空軍の戦闘機を追いかけるためにトウモロコシ畑(か何か)を車で横断するカットとか、個人的にめちゃくちゃお洒落なカットだと思った。だけど、インターステラの劇場で観るにあたってまったく事前情報を入れずに観に行ったのでそのトウモロコシ畑が、数十年(何百年)後の(食糧危機に面している)世界ということを物語が進むに連れて知ったので、最初はお洒落だと感じたその畑も、段々見るにつれて切なさを感じ始めた。
続いて2つめの感想、蜂起について。起承転結の転に該当するシーンで、博士が主人公達を裏切るシーンがあったのだけど、それはワルシャワ蜂起を彷彿させた。例えば仮説だけど、国際問題の1つであるISISに関する米国の思惑として、①アサド政権、暴れさす②英仏米、ISISを危険視し、自由シリア軍からISISを分断させる③ISISを潰すことが正義だという風な世論を高めていく④アサド政権VS自由シリア軍、そして米国が新西側政権を樹立する?(純粋な民主主義は、米国にとってマズいから、米国以外の敵(ISIS)を作り出すほうが都合が良い)ということも考えられる。(ちなみに僕は、陰謀論者じゃありません笑)(眠くない時に、ちゃんとした文章にする)
結局何が良いたいかというと、もし博士を連れて共に帰還すると、帰還最中に主人公達を妨害する危険性を孕んでおり、危険分子をあらかじめ排除したことが(映画では、意図せずに結果的そうなったのだけど)、ワルシャワ蜂起などを彷彿とさせた。
そして、3つめの感想はハッピーエンドだけど哀しいということ。無事に主人公は、地球へと帰還して娘と再会するのだけど、時空の歪み等の影響により主人公120or140歳・娘80歳ぐらいになっていた。一見ハッピーエンドに見えるんだけど、もう娘も家庭を築いておりそこに主人公の居場所がないように感じて切なくなってしまった。また、そのシーンで村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「海辺のカフカ」、竹宮ゆゆこさんの「ゴールデン・タイム」を読んだ時と同じ感想を抱いた。それは、その人をその人としてたらしめるものは、「記憶」なのかなと思案したことである。いくら父と娘と言えども、70年から40年(ビデオレターで一応交流しているとして)会っていなければ、哀しいけど昔から知っていた娘とはもはや別人に感じてしまうなと思ってしまった。(しかも、外見だけで比べると昔から変わらない父とおばあちゃんへと成長した娘だし。)
でも、それを承知の上で主人公は宇宙・銀河へと旅立ったから、インターステラのテーマとして「哀しさから創出される美(家族愛)がある」というのも有るのかなと、個人的にそう感じた。
(注2)
4つめの感想は、「融和性は、名作の定義の一要素」です!めもした時に融和性だと書いたけど、意味合いが違った。。ここでいう融和性は、現実と虚構が良い塩梅で混ざり合っている状態を意味していると思って頂ければ幸いです笑。個人的にこの作品名作だ!、と想う要素は何点かあるけど、そのうちの1つの要素が現実と虚構が良い塩梅で混ざり合っていることです。なぜかと言うと、アニメを見始める契機となった「CLANNAD」を見ていて、
高校生の頃同じ繰り返しの毎日に、うんざりしていた時に(今ではその繰り返しの毎日が貴重で尊い日々・つまらないのは自分だったと思うことができる)、現実離れしておらず現実のどこかで起こりそう(自分の生活でも)だと思えたから
と感じたので、インターステラを観て僕は現実と虚構が(現実のどこかで起こりそうな)良い塩梅で混ざり合う作品が好きなんだと、改めて実感したことです。
最後の感想は、「記憶に残る幕の内弁当は存在する」ということです。「記憶に残る幕の内弁当はないby秋元康」という名言がある。この発言の意図としては、イベント等で万人受けするようにまんべんないコンテンツを用意すると、幕の内弁当のように誰からの記憶にも残らないイベントになってしまう。そうではなく、ニッチな層のための(何かに特化している)コンテンツを用意すべきだ(例えば、美味しい天丼やカツ丼等だと、人々の記憶に残る)ということが挙げられる。だけどインターステラは、記憶に残る幕の内弁当のようだった。例えるならば、ミシュランに選出された店主が手掛ける魚沼産のコシヒカリや高級な梅干し・黒毛和牛A5等を使用した幕の内弁当があり、そんな豪華な幕の内弁当が1500円で味わうことが出来るなら例え幕の内弁当でも記憶に残る。そのような体験が、インターステラでは味わうことが可能である。なぜなら、インターステラという作品には色々な映画のエッセンスが詰まっているからです。
例えば、確定事項を変えるために宇宙に飛び立つことは「BTTF」のエッセンスが詰まっている。(作品を見ている最中は、数本例を思い浮かんでいたのだけど、忘れてしまった。今思い出したのは、グラビティゼロとか)また、主人公が宇宙飛行士になる前のことを想起されるシーンでは、 「遠い空の向こうに」(未視聴なのだけど)とか、記念館のインタビュー映像を冒頭に持ってくるカットを時系列に並べるのではなく、効果的な順番に並べ替えているのは「メメント」を想起することが出来た。(インターステラの監督クリストファー・ノーランは、メメントも監督してます)
何個か例を挙げたけど言いたいことは、確かにインターステラは目新しいことは無いのかもしれない(たどり着く果てが、娘の本棚裏の第5次元という発想以外)。だけど、これまでの名作のエッセンスが存分に詰め込んであり、そんな良質の映画が1500円で味わえるのだから、記憶に残る幕の内弁当は存在するということ。
蛇足だけど、EDの一節でCLANNADの「幻想」か「町、時の流れ、人」(多分、幻想だった気がする)が想起されて、幻想世界について想いを馳せた。ハードボイルドを参照されたらしいけど、時系列順に映すのではなくて(時系列順に見せるのであれば、幻想世界は21話の後とか?)、現実世界(世界線)と幻想世界を交互に見せるのって当時は何も感じずに見ていたけど演出的にクリストファー・ノーラン手法的な感じがして面白いよね、って改めて思った。
(注3)
【高音質】CLANNAD AFTER STORY OP 『時を刻む唄』FULL 歌詞付き ...
PS.
昨年クラブに連れて行かれたのだけど、クラブに行くような女性の方とはお友達にはなれそうにないけど、インターステラを鑑賞するよう女性の方とはお友達になりたいなと思いました。(小並)
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インド空軍の飛行機
モールス信号
NASA
父と娘 別れ
宇宙へ、そして別銀河へ
海の惑星
博士発見
実は騙していた
両博士死亡
ブラックホール突入
第5次元空間 あの場所へ 本棚
土星 クーパーなんたら
娘と再開
女性飛行士を探しに
シャレオツのなかのシャレオツ
エッセンス
蜂起
ハッピーエンドだけど、悲しさ
固定あまりしていないので、臨場感がある
融和性と名作の定義の一要素
高級な幕の内弁当は、記憶に残る
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(注1)http://www.mcc-9.jp/modules/myalbum3/photo.php?lid=705
THE IDOLM@STER MOVIE(千秋楽) with 台風19号 、輝きの向こう側へ!!
今年最も勢力が強いというニュースがなされている台風19号が接近している最中、新宿バルト9にTHE IDOLM@STER MOVIE(千秋楽)を観に行きました。開始10分後ぐらいに入場出来たので、眠り姫とかは観れなかったのだけど、その時の感想を書いていきたいです。
劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』公式サイト
まず館内に入場した瞬間驚いたのだけど、サイリウムの海が出来ていたこと。ライブビューイングって全国の劇場で同時に観れるぐらいの知識しか持ち合わせていなかったのだけど、ライブビューイングかそれともチアリーディングだったからかはわからないのだけど、事前知識無く参加したので、まずサイリウムや声援に驚きました。次に印象に残ったプロデューサー(プロデュンヌ)コメントを紹介したいです。
- 劇場に入場したとき、各キャラが一人ずつ出てきて(名前の吹き出しがある)そのキャラの名前を呼ぶというのをやっていたのだけど(僕が入場した時、響からだった)、蝉が写っているシーンがあって、「蝉ーーー」って掛け声がうけた笑
- やよいといおり、二人が写っている時の「100年立っても」「やよいおりーーー」
- 合宿ラストのシーン、春香と羽根Pとのやりとりの後の「パーフェクトコミュニケーション」
- 小鳥さんの(高木社長と吉澤さん)妄想でのシーン プロデュンヌ「キャーーーー」
- 「10年後~」って発言しているシーンに対応してのコメント「10年後、36歳だわ」リアル笑
- 律っちゃん「仕事組は支度して、」P「俺、仕事ないわ」P「俺たち、今仕事中だろ」P「そうだな」
とか、終始映画とは別でコメントでも笑いっぱなしでした笑 なので、シリアスのシーンもあまりシリアスを感じられないという苦笑
内容に関しては、以前見た時のメモを今度引用するとして、ぬめぬめ動くシーンが依然より、ぬめぬめしていないように思ったのだけど、気のせいかな?
あと、やっぱりライブシーンの「M@STERPIECE」は何度見ても圧巻だった!!(下からや上から撮影したように見せるカットも、オシャレで好き)
あと前見た時は気づかなかったのだけど、EDの際に千種から千早当てに手紙の返信が届いていたのを見れて良かった!!(あと、全然関係ないけど改めてガラケーが良いよねと感じた)
チアリーディング上映のような、サイリウムを振ったり、声援を送ったりあんなにも一体感を感じることができるような鑑賞は初めてだったのだけど、台風が接近する中参加して良かったです。サイリウムの海は、綺麗でした。(Pのコメントで、千早「輝きの向こう側には何があるのかしら」(この前に亜美と真美が、輝きはサイリウムにも捉えるという様な発言をしている)P「俺たち」という発言を思い出した。。笑)
「M@STERPIECE」THE IDOLM@STER Movie 輝きの向こ ...
PS
M@STERPIECEのCDで、小鳥さんが歌う「君の選ぶ道」という曲があるのだけど、親の視点で聴くとまた違った意味合いでその曲を聴けるので、まだ聴いたことがない方はおすすめです。
ANISAMA WORLD 2014 in Saitama!!
12日に大宮ソニックシティで行われた「ANISAMA WORLD 2014 in Saitama」に参加してきました。諸事情で前日に参加することが決定した。それでは、参加した感想を短めですが書いていきたいです。
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図参照
http://iso-labo.com/labo/mascot/Saitama_Fukaya-shi_character.html
凪のあすから 初回の感想!!
「凪のあすから」を見た。元々、リアルタイムで見ていたのだけど、用事で何週間か見れなかったり諸事情で、まとめて視聴しようと思っていたら、14・15日にニコ生で凪あすの一挙放送があったのでそれを見た。リアルタイムで見ていた時は半年以上前だったのと、二日目(二期)から視聴したことや回線の調子が悪く所々見れてない箇所はあるのだけど、一応一通り見たということで初回の感想を遺しておきたい。(各場面ごとの詳細やコメントは、下記のメモ帳や2回目に見た時にゆづるとして、今回は「凪のあすから」全体の感想を書いていきたい。)
まず、リアルタイムで見ていた時は8話のまま止まっていて、2日目の一挙放送を見て驚いた。リアルタイムで見ていた時は、凪のあすからは「true tears」のような作品なのかなと思っていたのだけど、超常現象が起きていたり、そのことがストーリーに影響を与えていることなどに驚きを感じた。
「凪のあすから」の全体を通じての感想は大きく分けて3つある。1つめの感想は、散見している伏線を回収していくのだけど、伏線や伏線と言えるかは分からない小さなものまで、他のアニメ作品と比較するととにかくその数が多いのが印象的だった。
2つめの感想は、1つめの感想と共通している箇所があるのだけど、主人公達が成長する物語であり、そのような作品が好きだということに気づかせてくれたことだ。例えば、月日は違うけど同じような境遇に遭遇した時、(昔とは)違い経験して学んだことによって昔とは違う選択肢を今選択して行動する場面を見た時に、そのように思った。
3つめの理由は、団地妻ことちさきを取り巻く恋愛模様を見ていて、大人の恋愛だと思った。最近竹宮ゆゆこさんの新作を読み終わり、恋愛を取り扱うにあたり竹宮ゆゆこさんと岡田麿里さんは、大人の恋愛という点で似ていると思ったのだけど、僕が感じた大人の恋愛というのは少年漫画と少女漫画で比較して説明できそうと思ったのでそれは次の記事で紹介してみたい。竹宮ゆゆこさんと岡田麿里さんお二方の作品を見返して、相似点と相違点をいづれ考えてみたいなー。ぱっと思いつくところだと、類似点は「大枠での大人の恋愛」・先程の2つめの感想と同じく「主人公達が成長する物語」で、相違点は「細かい点での大人の恋愛」とかかな?
最後の感想は、個人的に余韻が残るアニメは良いアニメということに気づかさせてくれたことです。初めてアニメの最終回を見て翌日や数日間ずっと余韻が残ったアニメが当時キッズステーションで見ていたらんま1/2で、確かに個人的に良いと思ったアニメは数日または何週間も余韻が残っていたことを思い出した。(CLANNADは半年ぐらい残ってたわ、、その反動でCLANNADのゲームをするためだけにPSPを買ったし。。)
統括すると、僕が「凪のあすから」を(初回)見た感想は、散見している伏線を回収していったり、主人公達の成長を楽しむ作品であり、大人の恋愛が味わえる作品でもあり、個人的に良いなと思えるアニメの理由の1つとして見終わった後に、余韻が残ることに気づかさせてくれた作品でした!!
※以下、備忘録としてメモ書きを遺しておきます。(ネタバレの箇所があるので、まだ見たことない方はスクロールしないほうが良いかもです汗)
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・エレベーターでちさきが、光に言った言葉は、ちさき自身にも言い聞かせている
お互い想いあっているのに、うまくいかないな
光とちさき
要が光に「まなかのこと、どう思っているの」と言ったのは、本当は自分のためではなくみんなのためだと思う(光とちさき) (とらどら・たまこまで言う、あーみんとみどりちゃん的な)
何も壊れないよ 私も光みたいに優しくなりたい、ここから見える(村の名前)の景色のように綺麗になりたい(心が)
「みんな誰かのことを想って、~、想われて、それなのに気づかずに~、舵をとって」by光
14話
さゆと要
光と紡のあいだで、揺れるちさき(紡に想いはある・・)
独白と動作をシンクロさせる
26話
・永遠に変わらない気持ち、時の流れで変わっていく気持ち、そのすべては間違いじゃないbyまなか
運命なんて何一つない、自分たちで変えていける